5月連休後、台湾🇹🇼の台南にある
八田ダムへ行きました。
八田與一氏慰霊祭に参加するためです。
八田與一氏は、台湾で一番知られている日本人です。台湾の教科書に書かれていることもあって、台湾人はほぼ知っています。
この人たちのおかげで台湾人は親日だと言っても過言ではありません。

「この公園は八田さんの偉業と人柄を讃えるために作られた。公園の前の道路の名前は、八田路、この道は、日本へと繋がっている」
八田與一祈念公園で、明るくしっかりとした日本語が園内に鳴り響いていた。その声は、台湾政府のおきまりの無情な対応にガッカリしていた自分の耳にしっかりと届いた。
声の主は、徳光さん、台湾日本人会の世話人で、八田と同じ金沢市出身で、台湾在住30年の、この慰霊祭の重要人物だ。日本から250人以上を、この慰霊祭に連れてきた。
自分は、この5月8日の慰霊祭の存在は、昔から知っていたが、
とりあえず来れば遠くからでも参列できると甘く思っていた。ところが、頼台湾総督や、台南市長、日本からも金沢市長も参加するぐらいの公的なイベント。慰霊祭の大会場の入り口にも、重々しい台湾政府の警備のため、ゲートで、けんもほろろに警備員に追い返された。
失意のもと、せめて祈念公園に再建された八田邸でも見て帰ろうと思っていたところだった。
ダメもとで、自分は
この徳光さんに声をかけた。八田與一さんにたいへん関心あって
ぜひ、慰霊祭に参列したい。どうも事前申し込みに失敗したらしい。どうにかならないかと懇願した。
徳光さんの人を呼び込む人なつっこい目が頼りだった。彼は、「うーむ。事前申し込みは先月24日に締め切っていて、厳しいと思うが、台湾の役人と交渉してみる」と前向きな姿勢をしてくれた。彼はその後、台湾の警備責任者と10分ほど交渉した後、
「自分たちの貸し切りバスに同行して欲しい。VIPカードも手に入れた」と骨を折ってくれた。初めて会ったばかりの人とは思えぬほどの親切な対応だった。そればかりか、同じ横浜に住んでいることもあってか、八田與一さんの孫にあたる人すら、引き合わせてくれて、感動ものだ。
日本人グループにも、我々の仲間が増えたと、紹介してくれた。感謝、感謝、そして感謝だ。
慰霊祭が始まると、何とこの徳光さん、
中国語と日本語が同時にできることもあって
慰霊祭の全体司会の大役をこなしていた。本当にキーパーズンに声をかけたのだろう。
この出会いが、今後のさらなる関係に繋がることを願う。徳光さんは、最後に、最初に声をかけた自分の目が一生懸命だったと、語ってくれた。
やらない後悔より、やってみる後悔の方がずっとましとも。チャンスはチャレンジするものとも。
来年は、徳光さんが働いている台北の温泉に行きたい。

台湾に生き続ける八田與一の魂。徳光氏の尽力と、外代樹夫人が愛したダムの記憶


