静岡県の路線バスの運転手が、80円残高不足のパスで乗ろうとした児童に対して、非常に高圧的態度に出たため、児童が炎天下のなか、2時間もかけて歩いて帰ったことがニュースになっている。
思い出したのが、映画 『ALWAYS 3丁目の夕日』のワンシーンだ。実の母親に会う友達に付き合って都電を乗り継いだ児童が、手持ちの"カネ"がなくなって、夜になっても停留所に2人で立ちすくむシーンが印象的だった。児童の袖のなかに紙幣を織り込んだ母親の配慮によって、その場を乗り切りることができた。
この2つの話も、自分には相当の違和感がある。自分が子どもの頃、市電やバスに乗るのが大好きで、時間があると、一人でも用もないのに、よくミニ旅行を楽しんだ。自分の従兄弟も付き合ってくれて、すっかり乗り物好きになった記憶がある。市電やバスの運転手も、この姿が微笑ましいと感じてか、よく声をかけてくれた。あのとき、運転手は、子どもだけの乗客には"カネ"を取らないことも少なくなかった。ましてや、困っている子どもや年寄りには、また今度で良いよと、優しい声をかけていた風景を何度も見たような記憶がある。自分の従兄弟はすっかり乗り物が好きになって私鉄の会社に就職。目が悪いため、念願の運転手にはなれなかったが、定年まで、駅で多くの乗降客を見守ることを楽しみにしていたという。
日本はいつから、心の貧しい国になったんだろう。自分が子どもの時代、生活はみな苦しかったのに、優しさを街の随所に見かけることがあった。
同じバスに乗り合わせた大人がそっと80円渡してあげても良かったのです。
その80円を誰からも助けてくれなくて、炎天下の酷暑のなか2時間も歩いて帰った子どもは何を感じているのでしょうか?